議会報告

第71回宗議会(臨時会) 議会報告(2021年10月14日~15日)
  • 宗務総長指名選挙

     宗議会の総選挙後の宗議会(臨時会)が2021年10月14~15日で招集されました。案件は宗務総長指名の件です。総長指名は議員の投票で決まります。
     当会は、旦保立子議員を推しましたが、残念ながら指名には至りませんでした。しかし、会派以外からの票を頂けたことは、今後の活動を共有できる大きな力を頂いたと感じています。

  • 宗務総長指名選挙 結果

    宗務総長指名選挙結果(出席議員数64名)
     木越  渉 氏  49票
     旦保 立子 氏  11票
     東野 文惠 氏  3票
     草野 龍子 氏  1票

    宗議会の後、参議会(出席議員数59名)において指名選挙が行われました。その結果です。
     木越  渉 氏  53票
     旦保 立子 氏  6票

  • 正副議長選挙

     開会に先立ち正副議長選挙が行われました。当会からは、副議長に杉浦明道議員を推しましたが、当選には至りませんでした。

  • 正副議長選挙 結果

    宗議会議長選挙(出席議員数59名)
     沼  秋香 氏  49票
     東野 文惠 氏  6票
     杉浦 明道 氏  3票
     渡邊  学 氏  1票
    宗議会副議長選挙(出席議員数59名)
     竹内 彰典 氏  45票
     杉浦 明道 氏  13票
     草野 龍子 氏  1票

第70回宗議会 議会報告(2021年6月21日~28日)
  • 短縮日程で開会

     第70回宗議会(常会)が6月21日から28日の8日間の短縮日程で開会されました。
     今議会は、昨年の常会の終了後、時を経ずして更なる5億円の経常費御依頼を減額した議会無視のあり方、宗務改革(行財政改革)の内局案が中心問題になりました。代表質問、一般質問、委員会質疑・総括質問を通して当局の宗務執行に対し内局不信任決議(案)を当会派9名と無所属議員1名の計10名の賛成者で提出することに至りました。
     また、「是栴陀羅」問題に関する決議(案)が全会一致で決議され、「是栴陀羅」問題をはじめ、あらゆる差別に真向いになり取り組みを重ねる歩みを進めることを宗門内外に表明しました。(東本願寺HPに掲載)

  • 補正予算

     昨年は、新型コロナウイルス感染拡大下で文書による審議のため、全く議論になりませんでした。予決算はじめ教化基本条例、寺院活性化支援推進等の重要案件が文書審議のみで可決されたことは課題が残る議会運営であったと言わねばなりません。
     補正予算の臨時宗会が計画されましたが、感染症拡大のため未開催に終わり、今常会で補正予算を審議することになりました。予算委員会は会期短縮の中、超過密日程になったことは言うまでもありません。
     経常会計は感染症拡大の影響から、収入・支出とも当初予算に比して全体的に縮小傾向ですが、補正が必要なレベルかどうかは疑問が残ります。補正は会計の全体に及んでいますが、当初予算でもマイナス決算にはならないと思われます。補正予算の眼目は、さらなる5億円減額御依頼の穴埋めとも思える「特別懇志金」の設定でしょう。この「特別懇志金」は経常費等には充当されず、五条袈裟の現物贈呈、有文地の裳附・色直綴のお仕立証の特別賞典での勧募です。先の薄海松色差貫の衣体制定と共に、衣体でもって収入増とする当局の手法をどのように思われますか。

  • 不充分な審議

     今年も昨年同様、新型コロナウイルス感染拡大は続く中、会派内では通常時期での開催の是非や延期なども論議されましたが、各派代表者会で、議論の場を確保したいと確認され、通常時期に例年通り13日間の開催が決まりました。
     しかし、その後の新型コロナウイルス感染症拡大の緊急事態宣言が発出され、当会は宗務総長宛に「コロナウイルス感染症拡大下における宗会常会開催の延期を求める要望書」を提出しました。結果として上記の短縮日程で開催されたことになりましたが、当局は昨年同様に、あくまで年度内で宗会を閉会し年度内に予算を成立させることに固持する姿勢は変わりません。感染症拡大下、これからの教団の在り方を決定する行財政改革案などの重要案件が、十分な説明と議論なしで決定されては禍根を残しかねません。

  • 今議会の役割担当


    質問者

    代表質問 藤内 和光  25分(質問時間)
    一般質問 杉浦 明道  10分
         旦保 立子   5分
         今居 哲治   5分
         渡邊  学   5分
         藤井 学昭   5分

    委員会配属

    予算委員会  藤井 学昭  渡邊 学
    決算委員会  今居 哲治
    運営委員会  釋氏 政昭
    特別委員会  藤内 和光
    請願委員会  旦保 立子
    懲罰委員会  篠田 穣

    内局不信任決議(案)

    発議者   藤井 学昭
    賛成演説  田澤 一明(演説時間制限無)

第67回宗議会 議会報告(2019年5月30日~6月11日)
  • 慶讃法要立案にあたって、これまでの総括・懺悔はされたのか。

    今年の『真宗二月号』には、 昨年行われた「内局巡回における質問・意見」が掲載されています。そこには、

    ・前回の慶讃法要について総括しているのか。
    ・宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の総括を踏まえているのか。
    ・同朋会運動の検証が周知されていないのではないか。
    ・懺悔からはじまる法要として示してほしい。
    といった声が寄せられています。

    これらの声は、過去の運動や法要によって何が始まりどういう成果があったのかを問う声です。 今回の慶讃法要はこれまでの法要とどこが違うのかと問う声です。そして、この状況の中で、多額の金額をかけてお勤めする意義 や必然性があるのかと問う声です。もっとありていに言えば、「なんでやるのか」「またやるのか」「やる意味があるのか」という声です。そしてこうした声は、決して少数の声ではなく、むしろ多くの人が共有していることであるように思います。

    こうした声に真摯に向き合い誠実に答えるということがなければ、慶讃法要のいかなる事業も水泡に帰すことは明らかです。であるとすれば、まずなすべきことは、これまでの教団の運動の歩みとその間の節目にあった法要の総括、つまりは同朋会運動総体の総括ということにならざるを得ません。

    そもそも同朋会運動は、親鸞聖人からの乖離・その教えへの背反の自覚に基づく懺悔の告白と、深刻な危機意識の表明がその出発点としてありました。それ故その運動は、本質として絶えざる自己批判・歎異という性格を有し、親鸞聖人の教えに帰し、親鸞聖人の道に立たんという願いを方向性として持ちました。あるいは、そうした懺悔の告白と危機意識の表明があったからこそ、運動としての質を保ち得たと言えるかもしれません。

    しかるに、『事業概要』では「同朋会運動のさらなる推進を図る」というばかりで、そこにこれまでの運動に対する総括も、現状に対する懺悔の告白もありません。同朋会運動がその本質として持っていたはずの不断の自己批判の精神を失った時、運動は停滞しているか変質したと言うべきでしょう。まことに皮肉なことに、無疑問的に語られる「同朋会運動の推進」という言葉ほど、同朋会運動の精神に反する言葉はありません。「同朋会運動のさらなる推進」という掛け声では何も生まれないことを、すでに多くの人は感じ取っています。それが先の内局巡回に寄せられた声の背景にあるものではないでしょうか。

    しかし一方で総長は、先の演説において「宗憲改正以来、積み残してきた課題に向き合い、新たな宗門のかたちを考え直す必要性に迫られています」とも述べられました。その課題が何であるのかは演説においては不明ですが、まずその内容を明らかにしていただきたい。その上でそれが本質的な問題であるならば、今なすべきことは「同朋会運動の推進」と上滑りすることではなく、運動の原点に帰ってその課題に勇気をもって踏み止まることではないでしょうか。それこそがかえって未来を開くことにつながると考えます。

  • 「是旃陀羅」問題(差別問題)

    2013年解放同盟広島県連による新たな問題提起以後、教団もそれに応えて「部落差別問題等に関する教学委員会」を発足し、2016年にはその『報告書』が提出されました。それを受けて総長は、是旃陀羅の課題を「教団内で共有し、社会に発信していくための指針を定める」ことを諮詢事項とする教学会議を設置されました。

    その『報告書』には、まとめの提言として、

    ・私たちは、「是旃陀羅」問題と真宗の関わりの歴史を直視し、その罪責に向き合っていかなければならない。
    ・同朋会運動推進において掲げられている「人の誕生」と「場の創造」は、差別問題への取り組みと別にあってはならない。

    と、述べられています。ここでもまず、歴史の直視と罪責の告白が求められていることは、十分注意すべきことでしょう。その上で同朋会運動の推進は差別問題の取り組みと別にあってはならないと言われています。

    おそらくそのことを受けて、最初の法要原案である『基本計画案(骨子)』(以下『内局
    原案』)では、教学教化の方針の一項目に「差別問題への取り組み」が掲げられ、次のよう
    に記されています。

    ・「是旃陀羅」の課題への取り組みをはじめ、あらゆる差別問題への取り組みと聖教との関係を明らかにすべく、慶讃法要に向けて設置する聖教編纂室における聖教編纂の歩みと軌を一にする。

    ここには三つの重要な論点が示されています。
    ①「是旃陀羅」の課題は、慶讃法要における教学教化の取り組みの一つである。
    ②「是旃陀羅」の問題のみならず、他の差別問題にも同時に取り組むべきである。
    ③この差別の課題は、慶讃法要の記念事業である聖教編纂と密接に関わっている。
    これはきわめて当然な、納得のいく意見であると考えます。

    この『内局原案』を議論の出発点とした宗務審議会の『答申』では、是旃陀羅の課題に加えて性差別の課題にも言及し、「あらゆる差別問題への取り組みと、聖教との関係をも明らかにすべく、聖教編纂室における歩みを進める」と、上記の三つの論点を踏襲しています。

    また、その『答申』を受けて作成され、内局巡回時に示されたリーフレット『総計画案の作成に向けて』では、「すべての人びとに向けて教えの発信を」という重点項目の中に、「是旃陀羅の課題共有・さまざまな差別問題への取り組み」と掲げています。③については別項目となっているため一歩後退した感はあるにせよ、①と②については継続して重要課題として明記してあります。

    しかるに、こうした経緯を踏まえて作成されたはずの、最終計画案とも言うべき今回発表された『事業概要』において、聖教編纂との関わりのみならず、「是旃陀羅」の問題にも他の差別の問題にも一言も触れられていません。これまでの議論の積み重ねを無視して、すべての論点が白紙に戻されました。これは一体どうしたことでしょうか。

    総長は演説で、「部落差別問題についての取り組み」についても確かに述べられています。しかしそれは時間の限られた慶讃事業としてではありません。

    思えばこの課題は、水平社創立当時から検討を求められてきた課題でした。くしくも慶讃法要前年の2022年は全国水平社設立百周年に当ります。そしてこの間我が教団は、この深刻な問いかけに対し、明確な応答をすることができていません。「わが教団は、なぜ百年の長きにわたって、この問題を放置しえたのか。」「どのような仕方で放置してきたのか。」この問いの前に一度立ち止まらなければ、我々はまたもやこの問題を放置し続けることになるでしょう。

    「なぜ放置しえたのか」-それは端的に言って、「痛みを感じる」ということに無知であったか、知っていてなおその声を真摯に受け止めるということがなかったからでしょう。

    そして「どのような仕方で放置してきたのか」ということについては、その典型を「全宗門的な課題の共有に向けて学習をしていく」という、定型化した言い方に見ることができます。一見誠実で前向きなこの物言いが、現に今深い痛みを感じている人の前で発せられる時、それは相手の痛みによりそうものでないことは明白です。

    当局はこれまでもこうした言い方で課題を放置してきました。その典型が見真額の課題です。これ以上「課題の共有」という名の不作為、「学習の継続」という名の先送りを続けてはなりません。それは女性からの痛みの声が上がっている経典における女性差別の課題についても同様です。

    今なすべきことは、過ちを認めて謝罪し、読誦拝読を停止することであると思われます。その上で当初の慶讃法要の願いに帰り、時間を区切って聖教編纂の事業にこの課題を反映させることではないでしょうか。

    ※田澤一明議員、一般質問から抜粋(本文はコチラ
第66回宗議会 議会報告(2018年5月24日~6月5日)
※リストをクリックしてください。報告内容はPDF形式で表示されます。

宗派立開教拠点設立過程において見えてきた問題とは

  • 問題の所在
     宗派は、2009年に、川崎市の解散する三門徒派の寺院を買い取り、その寺院を首都圏における大谷派の開教拠点の一つとして設立しようとします。これは、その寺院を大谷派の宗教法人として設立するにあたって、宗派における手続きに大きな疑義があるという問題であります。
     問題点は二つです。一つは、財産処分事案にも拘わらず、議会の議決を得ず、通常宗務のように処理し、すべてが完了してから議会に諮るという議会無視、そのものの行政手法を取ったことです。いま一つは、そのことを宗派内に周知する公告において、「償還」と「譲渡」いう表現を取りますが、それらは事実を言い当てるものではないということです。言うまでもありませんが、償還とは借りた金額を返済することを表わしますが、実際は、宗派が取得するに要した経費を宗派自身が回収したのです。そして、その償還と譲渡が1つになる時、譲渡は有償譲渡という理解を生みますが、内実は無償譲渡、寄付であったということです。
     ここでは、議会無視ということに焦点を当てて報告したいと思います。
     なお、ここで取り上げようとすることは、当該寺院になんら瑕疵や問題があってのことではありません。こうして問題化することによって、当該寺院に関係されている方々に不快な思いを与えているとすれば、全く本意とするところではありません。当該寺院のご門徒・ご寺族の皆さんには、大谷派の開教寺院として、ますますご活躍、ご活動下さいますよう念じています。
  • 議会無視
     宗派は、○○寺が宗教法人格を取得するにむけて、所轄庁である神奈川県庁からの要請に応えるかたちで、2014年3月に、○○寺との間で覚書(資料―1)を締結します。その内容は、○○寺が宗教法人格を取得した時、当該土地・建物の所有権移転登記手続きを行うことを、真宗大谷派の代表役員の名で○○寺との間で取り交わしたものです。
     この不動産の所有権移転登記というものは、平たく言えば、宗派の財産を処分し、相手に寄付するということです。この覚書は、○○寺との間で交わされたものではありますが、同時に神奈川県庁に対して、宗派の意志を示したものでもあります。
    一方、財産処分にあたっての宗派においての手続きは、財産管理審議会に諮り、そのうえで、参与会・常務会(宗会閉会中に議決権を有する機関)において議決されることが必要であります。
     ところが、覚書の内容が財産処分なしに出来ないものであるにもかかわらず、参与会・常務会という議会に全く諮ることもなく、覚書を宗派の代表役員の名で締結しています。
     また、神奈川県庁に対して、宗教法人設立認証申請を○○寺が提出する時には、当該土地・建物が○○寺の基本財産であることを証明する「宗教団体であることの証明書」を宗務総長の名で交付しています。その証明書と覚書が一つになる時、法人設立時には、その土地・建物が○○寺の所有であることを宗派が神奈川県庁に証明するものとなります。
     実際、2014年3月18日に前述の覚書を締結し、2016年10月18日に、当該不動産が○○寺所有であることを証明する「宗教団体であることの証明書」を交付し、それらのことを受けて、2016年12月2日には、神奈川県知事が宗教法人設立を認証し、12月5日に、宗教法人○○寺が設立登記を済ませています。そして、12月18日には、○○寺設立奉告法要が勤修されました。
     このように、具体的な法人設立にあたって、議会の議決はじめ、財産管理審議会の承認を得ることもなく奉告法要まで済ませ、つまり、すべてを済ませてから、翌年、3月27日に財産管理審議会を、そして、4月24日に参与会・常務会を開催して財産処分の議決を得ています。果たして、すべてが完了してからの、この議決は如何なる意味を持つものなのでしょうか。
     この宗務執行手法を議会無視と指摘しているのです。
  • 当局の答弁
    1.覚書は、財産処分には該当しない。(5月28日、担当参務の答弁)
     覚書には、○○寺が法人格を取得した時、所有権移転登記手続きを行うと、○○寺と取り交わしていながら、それは、財産処分を意味するものでは無いというわけです。所有権移転登記は、財産処分そのものを指す言葉ではないでしょうか。
    財産処分しないで、所有権移転登記が可能な魔法でもあるなら教えていただきたいと言いたいですね。

    2.覚書にある○○寺が法人格を取得した時、というのは、それにより宗派において、所有移転登記の手続きを行うことをいうものであり、それから財産管理審議会を開き、参与会・常務会を開催し、財産処分の公告を行い不動産登記をした。
    (6月4日、総括質問における当局答弁 趣意)
     お聞きした時には、まさにあいた口がふさがらないというのが最もぴったりな表現といえるでしょう。反論の元気さえなくなるような詭弁は、いい加減にしてもらいたい。当局の答弁は、「所有権移転登記手続」の手続は、宗派内手続きを指すもので、法人格を取得したことにより、それから、宗派内手続きをはじめるものであり、財産管理審議会、参与会・常務会を開き対応したというものです。
    しかし、資料―1を確かめていただきたい。これが記されているのは、第2項「所有権の移転期日について」の項目であります。所有権はいつ移転するのかという項目で、それは「宗教法人格を取得した時」と明確に記されてあり、「所有権移転登記手続を行う」と書かれています。そこで言う手続は、所有権移転登記するにあたっての事務上の処置そのものを指し、不動産登記簿上の登記ではないが、実質上の所有権の移転がなされることを記しているのです。その事情を神奈川県庁はよく認識して、その後の認証に繋がっていきます。申すまでもありませんが、土地・建物の基本財産を持たない宗教団体には法人格は認められないからです。
     「所有権の移転期日」という項目で、もし、当局答弁に沿えば、宗派内手続きが終了した時とでも書かれているのなら、手続きは宗派内手続きを指すというのももっともですが、この覚書を読んで、そこから宗派においての手続きは始まるなどとは、決して読み取ることは出来ません。「所有権移転登記手続」の手続を宗派内手続きとみるのは、すり替えも甚だしいと言わざるを得ません。
     また、この覚書は神奈川県庁から審査資料として要請されて作成したものであり、神奈川県庁の関心事は、宗教法人設立認証を付与するにあたって、○○寺が境内土地・建物を基本財産として有しているかどうかであり、宗派内の手続きがどうなっているかなどについては、彼らの全く関心のないところであります。

    3.覚書を交わした法的根拠については、内局の宗務執行責任として行ったということ。宗憲44条、「宗務執行の権限は内局に属する」に基づいての執行。
    (5月31日総長補足答弁)
     財産処分を前提とする覚書を取り交わすにあたって、事前に議会の議決を得ることもなく進めた法的根拠を示してほしいという質問に対する総長の答弁であります。表現を変えれば、総長に如何なる権限があって、大谷派の財産を○○寺に寄付しますよという約束ができるのかという質問であります。それに対して、それは内局の宗務執行権によって行ったものだというわけです。つまり、財産処分の踏むべき手順は記した通りであるが、その手順を無視してでも、宗務執行権なるものを有する内局には、財産処分は出来るという不誠実なだけではなく、大変危ない答弁であります。
     当局は、説明責任を果たすこと無く、詭弁を弄して、あるいは、その場逃れの強弁をもって、事態を有耶無耶にしようとすることに終始しました。
  • 内局不信任決議案提出
     議会無視という宗務行政手法を取ったのではないかという疑義がある中で、質問に対して明確な説明責任を果たそうとしないだけではなく、財産処分を約束したのは、「宗務執行の権限は内局に属する」という宗憲44条をあげ、内局に付与されている宗務執行の責任として行ったものであると強弁をします。この答弁は、居直りとも取れますが、単なる居直りと見過ごせるものではなく、恣意的に宗務執行の権限を拡大解釈するものであり、宗門法規を無視するものであります。宗門法規を遵守しない内局にわが宗門の宗務を任せることができず、議長に内局不信任決議案を5月31日、提出しました。
     採決は、与党と無所属が反対し、賛成はわれわれ10名で、賛成少数で否決されました。
  • この度の問題が提起したこと
    1.議会と宗務行政との間に緊張関係はあるか?
     この度の問題は、議会と宗務行政との間に緊張関係が確保されていたなら、決して起らなかったことであろうと思われます。今回のことで言えば、神奈川県庁への一切の手続きが済み、宗教法人設立奉告法要まで勤修して、それから、議会の議決を得ようとするのですが、もし万一、そこで否決でもされれば、多くの所に多大なる迷惑をかけるでは済まされないことになります。しかし、内局は、否決されることなど微塵も考えていないからこそ、すべてが終わってから議会にかけることが出来たのでしょう。
    そして、宗議会もまた、当局提案の議案を否決するなどとんでもないことだという信仰にでも取りつかれているのかと疑いたくなるほど、問題があっても修正もしないで(資料―8)可決していきます。
     宗議会が当局提案の議案を否決しないのですから、わが宗議会は、議決機関というより、承認機関、あるいは議案通過機関であると言った方が実状を言い当てているかもしれません。このような中で、いかにすれば、宗議会と当局との間に緊張関係を醸し出すことが出来るのか。全く道筋は見えません。しかし、はっきりしていることは、否決も含めて議決なのだということを宗議会が当局に示せるかどうかという、極めて当然のことが問われているということなのでしょう。
     このように記すと、あなた方自身は、大谷派議会人としてどうなのだというご批判が聞こえてきそうですが、知恵が無く、力もないために、承認機関でしかない議会を支える一人であることを超え出ることが出来ずにいます。

    2.首都圏開教のあり方を再検討する。
     個人による首都圏開教が困難であるという認識のもと、宗派立の拠点づくりを目指して、いま、2例目が、千葉の行徳において進められています。一例目の場合には、もともと所属のご門徒がおられるなかでの法務執行による設立経費の回収に5年強要しています。一方、行徳は、全くの新寺建立ですから、門徒獲得からはじめる中で、設立経費を回収するにはどれ程の年月が必要であるのか、東京教区の人でも読めないという人が少なからずいます。
     また、開教を志す多くの人たちに対しての宗派の支援が十分なされているのかを精査することを含めて、こういう方途での開教が、最も適正で有効であるのか、充分再検討せねばならないと思われます。

    ※議会が過ぎ、まして不信任案が否決されることで、この問題に対して信任されたという間違ったメッセージを送ってしまうことになることを恐れます。
     疑義は全く明らかにされていませんし、財産処分が宗務執行の責任で行われるということを許していいのかという新たな問題さえ出てきています。機会あるごとに、説明を求めたいと思います

    ※資料の参照については、PDF形式でリンクしていますご参照ください。 【資料PDF】